2代 廣瀬旭荘(ひろせ・きょくそう)

更新日:2021年03月31日

生年/出身地

文化4年(1807年)/豊後国日田生まれ

入門年月日

文化12年(1817年)10歳から淡窓が撫育した

塾主期間

天保2年(1831年)1月~天保7年(1836年)
(出遊時代 天保7年~弘化4年の大阪塾・江戸塾の門下生もあり)

解説

三郎右衛門の三男、淡窓の末弟。
淡窓とは25歳離れており、淡窓の義子となるが後に弟に復した。幼少から才気にあふれ、17歳で亀井塾に学び、その記憶力の良さから「活辞典」と評される。24歳で咸宜園の跡を継ぐことになるが、30歳で上坂し、開塾。37歳で江戸に出て、門下生に教授する。大半を日田から離れ、大坂を中心に当時の著名人たちと交流し、また各地を訪れ筆跡を残している。詩の才能も抜きん出ており、清国の儒者兪曲園がまとめた日本の著名詩人の詩を集めた詩集「東瀛詩選」で、一人で二巻を占めた唯一の人物が旭荘で、兪曲園は「東国詩人の冠」と評した。文久3年(1863年)57歳で摂津国池田にて死去。

(肖像画は財団法人 廣瀬資料館所蔵)