3代 廣瀬青邨(ひろせ・せいそん)

生年/出身地

文政2年(1819年)/豊前国下毛郡(真坂村土田)生まれ

入門年月日

天保5年(1834年)9月4日 16歳

塾主期間

安政2年(1855年)~文久2年(1862年)6月 「東宜園」明治9年~あり

解説

淡窓は、末弟・旭荘の子林外に跡を継がせようとしたがまだ幼く、その成長まで、老齢の淡窓を補佐して塾を預かる者が必要だった。21歳にして都講となっていた矢野範治(青邨)は、塾政を補佐しており、弘化元年(1844年)6月、官許を得て淡窓の義子となり、廣瀬の姓を称することになった。文久2年(1862年)塾政を林外に譲り、府内藩の藩校「遊焉館」の教頭となった。幕末・最後の西国筋郡代窪田治部右衛門が徹底抗戦の構えを見せたところを青邨が説諭し、窪田郡代は日田を去り、日田が戦場となるのを防いだ。青邨は新政府の命で京都へ赴き、学習院漢学所に出仕、明治3年には京都府典事、4年に督学、6年に大属と進んだ。明治8年岩手県に出仕、明治9年には修史局に出仕したが、まもなく東京牛込神楽坂町に居を定め、私塾「東宜園」を創立。明治10年東京華族学校(のちの学習院)教授・監事。明治天皇に対し、監事として学事報告と「論語」を進講した。明治15年山梨県立徽典館の校長。(「日田の先哲」より)明治17年(1884年)66歳で死去。

(肖像画は財団法人 廣瀬資料館所蔵)

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更新日:2017年03月22日