大村益次郎に関する資料を展示しています

更新日:2024年05月14日

咸宜園教育研究センター常設展の展示を一部入れ替えました

咸宜園教育研究センターでは春季企画展終了に伴い、5月9日(木曜日)から常設展示を一部入れ替えました。

今回、新たに展示するのは「大邨子神道之碑(おおむらししんどうのひ)」です。

大邨子神道之碑は、咸宜園の門下生で後に日本陸軍の創始者と言われる大村益次郎(おおむら・ますじろう)の碑です。益次郎は明治2(1869)年11月に没し、亡骸は郷里の山口県に埋葬することとなりました。明治5(1872)年には墓所近くに大村神社が建立され、明治12(1879)年の益次郎10年祭の執行に伴って大村神社の前に大邨子神道之碑が建立されました。展示資料はその石碑の拓本です。碑文には、廣瀬淡窓に漢学を学んだことが記されています。

今年大村益次郎生誕200年祭が行われたことに伴い、日田市所蔵資料を展示することとしました。

皆さまお誘い合わせの上、ぜひご来館ください。

 

大村益次郎(1825~1869)

周防国吉敷郡鋳銭司(すぜんじ)村(現、山口県山口市)生まれ。

梅田幽斎(うめだ・ゆうさい)の梅田塾で蘭学を学んだ後、天保14(1843)年に「村田宗太郎」の名前で咸宜園に入門する。月旦評の昇級は非常に早く、入門から1年足らずで権4級上に達した。咸宜園で学んだ後、緒方洪庵(おがた・こうあん)の適塾で医学を学んだ。嘉永6(1853)年に西洋兵学に関心のあった宇和島藩(現、愛知県宇和島市)へ出仕した後、幕府に仕えて砲術を教授した。文久3(1863)年に萩へ帰国すると西洋兵学を教授し、長州藩の軍制改革を行って、対幕府戦で活躍する。

新たな展示資料
  • 「大邨子神道之碑(おおむらししんどうのひ)」
大村子神道之碑

展示の様子

この記事に関するお問い合わせ先

咸宜園教育研究センター
〒877-0012 大分県日田市淡窓2丁目2番18号
電話番号:0973-22-0268(直通)
ファックス番号:0973-22-0268

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