日田市豆田町伝統的建造物群保存地区

豆田町の風景

 天領時代に町人地として発展した豆田町とその周辺は、住時の地割りをよく残し、伝統的な建物が群として良好に残っていることから、約10.7ヘクタールの範囲が平成16年12月10日に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

 南北2本の通りと東西5本の通りからなる整然とした町割や、街区の敷地割は、江戸初期の城下町建設時の形状を引き継ぐものです。豆田町では明和9年(1772)や明治13年(1880)、明治20年(1887)に大火があり、火災を契機に、茅葺の町家が居蔵造(いぐらづくり:瓦を葺いて木部を土で塗りごめる造り)へと変わっていきました。江戸期から大正期に建てられた居蔵造の町家を中心に、木部を見せる真壁造の町家、近代の洋館、醸造蔵、昭和初期の三階建家屋等が並び、町ごとに特徴ある歴史的景観を残しています。

 保存地区北部の長福寺本堂と、大規模商家建築である南部の草野家住宅は、国の重要文化財に指定されています。

豆田町の歴史

 日田市では、周囲の山々から流れ出る豊富な水が集まって筑後川となることから、古来より水郷日田として知られていました。また、古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として栄えました。江戸時代には、その大半を天領として支配され、九州の政治、経済、文化の中心地として繁栄しました。

 日田が天領となるのは寛永16年(1639)で、日田御役所(日田陣屋)が置かれました。この陣屋膝下の町として発展した町人地が豆田町です。町並みの成立は、17世紀初頭の城下町建設にさかのぼり、当初は城下町の名にちなんで丸山町、ついで永山町と呼ばれていましたが、天領となった頃に豆田町に改称されました。

 明和4年(1767)に日田代官が西国筋郡代に昇格すると、日田は幕府による九州支配の拠点としてますます重要になりました。この頃から、近隣諸国や京都・大阪商人との取引で富を得た商人達が台頭し、代官所の公金を預かり、西国諸大名に貸付ける掛屋(かけや)として活躍する者も現れました。この強力な貸付資本は「日田金(ひたがね)」として知られ、日田は一層経済的発展を遂げました。こうした豊かな経済力を背景に都市文化も花開きました。

日田市豆田町伝統的建造物群保存地区~町並み保存のあらまし~

伝統的建造物群保存地区内における現状変更行為

 保存地区内におけるすべての建築物等において、その現状を変更する行為について、事前に市文化財保護課へ相談し、現状変更行為の許可申請書(様式第1号)を提出の上、許可通知書(様式第2号)を受けた後に着工となります。ただし、非常災害時の復旧行為や日常的な維持管理行為など軽易な行為については許可を必要としない場合もあります。

 また、許可を受けた行為については工事完了後又はその行為を中止する場合には、完了・中止通知書(様式第3号)を市へ提出していただきます。

この記事に関するお問い合わせ先

日田市 教育庁 文化財保護課 町並み保存係
〒877-8601 大分県日田市田島2丁目6番1号(市役所別館2階)
電話番号:0973-24-7171(直通)
ファックス番号:0973-24-7024

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更新日:2017年03月25日