2016年人権コラム「心、豊かに」

更新日:2021年03月31日

『人権コラム 心、豊かに』は、「広報ひた」1日号に掲載(毎月)しています。

伝統行事の「心」を継承【1月1日号掲載】

<歳神様>
   ⼀年の初めに天界から舞い降り、その年の五穀豊穣と家内安全を約束してくれる神様。
 「正⽉」はその歳神様をお迎えし祝う⾏事で、新年を迎えたときの「あけましておめでとうございます」は、歳神様を迎える祝福と感謝の意を表す⾔葉です。
 正⽉を迎える喜びは今も昔も変わらず、また正⽉には様々な伝統や文化、慣習が根付いています。インターネットで正⽉のイラストを検索してみると、『初⽇の出、富⼠⼭、獅⼦舞、凧…』など、にぎやかな絵が勢揃い。正⽉は「めでたい」⾏事の代表格といえます。
 正⽉のめでたさを彩るひとつに「門松」があります。門松の由来は、歳神様の安息所であり、また下界に降りてくるときの目印とされてきました。そして、その門松に使われる「松」「竹」「梅」(いわゆる「松竹梅」)も、めでたさの象徴として⽇本人に愛され続けていますが、この「松竹梅」は中国の「歳寒三友」が⽇本に伝わったものです。
 <松と竹は寒中にも色あせず、また梅は寒中に花開く>
 中国の松竹梅に対する認識は「清廉潔⽩・節操」という文人の理想を表現したものであり、「めでたい」感覚は持ち合わせていません。また、⽇本では松竹梅を等級に⽤いることがありますが、もともと優劣があるわけではありません。松が最上級で、次いで竹、梅とすることが多く⾒受けられますが、「三友」と⽰されているように、松竹梅は「3種の友人」という意味合いが強く感じられます。
正⽉は、⽇本最古の⾏事といわれています。この伝統⾏事を後世につなげていくとき、「新たな年を迎えられる喜びや感謝の⼼」
を同時に引き継いでいくことが望まれます。そして、その継承は、自然や他人を敬う⼼のかん養をもたらすはずです。

「夢・希望・憧れ」の侵害【2月1日号掲載】

 「ご両親の出身地はどこですか」。
 就職試験でこのように尋ねられたら、どうしますか。特に違和感なく答えることもあるかもしれませんが、⼤抵は疑問や⼾惑いを隠せないのでは…。
 「就職差別」。⽇本にはこの概念が社会に定着していませんでした。「企業が誰を雇うかは企業の⾃由」といった趣旨の最⾼裁判例もあるように、国や地⽅公共団体の職員の採⽤においても、かつては広範な身元調査が⾏われていました。
 就職差別に反対する動きが始まったのは1960 年代。⼦供たちの「夢や希望、憧れ」を壊したくない強い意思のもと、学校現場を中⼼に部落と就職差別の関わりについて研究が進められ、就職差別撤廃の取組が全国に広がっていきます。
 1970 年代に⼊ると国の通達により「統⼀応募書類」の使⽤が開始され、さらには⼾籍の公開制限など、就職の機会均等を確保する枠組みの前進が図られていきます。その⼀⽅で、1975 年「部落地名総鑑事件」が発覚し、⼤企業の差別体質の根深さが明らかになりました。冒頭のような質問には、同和関係者や在⽇韓国・朝鮮⼈を排除しようとする意図が⾒え隠れしています。
 今でも「家族構成や両親の仕事」など就職とは直接関わりのないことを尋ねられる事例が後を絶ちません。企業が将来展望や健全な会社運営のために、採⽤に慎重になることは理解できますが、アメリカでは履歴書の写真の貼付、年齢や国籍の記⼊さえも差別として扱われており、⽇本との違いは明らかです。
 就職は、憲法で保障された「職業選択の⾃由」に基づく⽣存権の⾏使ともいえます。根拠のない差別を背景とした「聞きたがり」が⼀⽣を台無しにしてしまわぬよう、選ぶ側の公正な「⼼」はなくてはならないものです。

「貧困」の連鎖を断ち切る【3月1日号掲載】

 明治10〜20 年代の⽇本は世界⼀の「離婚王国」でした。当時の離婚率は3%前後で、欧米主要国と比べると約3 倍の高い割合を示していました。
 ⼦を持つ親が離婚に⾄った場合、その⼦は誰が育てるのか―。明治期は圧倒的に夫が養育する例が多く、その理由には妻(⼥性)側の経済⼒の弱さが挙げられていますが、最⼤の理由は「嫁⼊りした家で⽣まれた⼦」という概念であったと推論されています。
 しかしこの概念は、離婚の際の協議で親権者が決められるようになった⺠法の改正によってかすみはじめます。昭和40 年代には「妻がすべての⼦の親権」が「夫がすべての⼦の親権」を上回り、その後の⼥性の社会的な地位の向上を目指すさまざまな取り組みも重なって、平成24 年の統計では「妻〜」が8 割強を占めるようになりました。
 ところが、「妻が親権」の増加は思わぬ形で「⼦どもの貧困」を招いてしまいます。ユニセフや厚労省などが公表した「⼦どもの相対的貧困率」によると、⽇本は先進国の中でも高い貧困率となっています。そして、その要因のひとつが「非正規労働者」の増⼤。非正規化の拡⼤は家庭の収⼊減を引き起こし、それによって⼦どもの進学の夢が奪われ就職にも影響…。結果として、新たな非正規労働者が⽣まれるといった悪循環に陥っています。
 事態を重く⾒た政府は、法整備やプロジェクトの⽴案で貧困対策に取り組み、ひとり親家庭や多⼦世帯の⽀援策を打ち出しています。同時に、すべての国⺠の理解と協⼒を求めており、全国に広がりはじめた「⼦ども⾷堂」はその⼀例で、地域による⽀援が貧困の連鎖を断ち切る有効な⼿段になりつつあります。
 将来を託さねばならない、かけがえのない存在に社会全体で光を当てる―。現実から目をそむけてはいけない「待ったなし」の⾏動が望まれています。

カウントされていない1万人【4月1日号掲載】

 春、真新しいランドセルを背負い桜の門をくぐる新入生。それが、ひとつの法の規定によって叶わなかった。そんな過酷な人生を歩んだ人がいる現実に目を向けたことはありますか―。
 出生届と同時に作られる「⼾籍」。しかし、⽇本人のおよそ1万人以上が⼾籍を持っていないと推定されています。そして、その要因のひとつとなっているのが⺠法772 条の「300 ⽇規定」です。
 ⼥性が離婚した後、300 ⽇以内に生まれた⼦は「前夫の⼦」と推定することを定めている⺠法は、120 年前の明治時代に制定されました。妊娠期間を表す「⼗⽉⼗⽇(とつきとおか)」を基準にしているに過ぎないと思われるこの規定には、科学的かつ合理的根拠は⾒当たりません。
 この「300 ⽇規定」に直面した親は極限の選択を求められます。出生届を提出すれば、「現夫の⼦が前夫の⼦」となってしまい、それを拒めば「無⼾籍」となってしまう―。⾃責、困惑、周囲の声。暗澹としたまま時だけが過ぎ、冒頭のような悲劇を招くこともあります。
 無⼾籍の現実に目を向けるときに重要なことは、暴⼒や貧困の影響です。繰り返される夫の暴⼒からようやく逃れ、新しいパートナーと人生を再出発し300 ⽇以内に出産。しかし、そのパートナーの⼦として⼾籍を作るためには前夫と関わらざるを得ず、そうすると居場所が知られ、再び暴⼒に遭うといった恐怖感から⼿続きをあきらめたケースや貧困により出産費⽤が払えず、病院から出産証明を受け取れなかったケースなど、無⼾籍の背景には計り知れない苦悩が隠れています。
 2007 年以降、「医師の証明による親の認定と出生届の受理」に関して、国が通達を出し改善が図られていますが、すでに⼾籍のない状態の人に対する有効な⼿段や方策はとられていません。「一億総活躍社会」の陰で、その1万分の1の人たちが生誕の証を有せず、社会参加もままならない…。今、一刻も早い救済が待ち望まれています。

決め付けずに「見る」【5月1日号掲載】

<我々はたいていの場合、⾒てから定義しないで、定義してから⾒る>
 この⾔葉を残した、ウォルター・リップマンの職業はジャーナリスト。第1次世界⼤戦前後から20 世紀半ばにかけてアメリカで活躍し、1922 年に発表した⾃著作にこの表現を記しました。
 人が実体験によって知り得る事象は限られており、ほとんどの事象はメディアなどを通じて知るといってもいいでしょう。ところが、リップマンはメディアの報道そのものに冒頭のような傾向があるため、現実と完全に一致しないことがあるとし、そればかりか、報道の受け⼿側も内容を⾃⾝に都合よく解釈するため、現実と人の認識の間に「ズレ」が⽣じると指摘しています。
 情報が溢れ、同時にあらゆる機会でその情報に接することができる現代社会は、このズレが⼤きくなってしまいがちです。そのうえ、「実体験に基づいた現実に即した定義」であっても、それが少数派の場合、多数派の「他者や世間一般の定義」になびいてしまう風潮が⾒られます。
 さらに、このズレは先⼊観や思い込みと組み合わさり、差別⼼や偏⾒性を助⻑してしまう要素を持っています。例えば、⾎液型による性格判断などは、その代表例といえるのではないでしょうか。「○型はわがまま」「○型とは意⾒が合わない」など⾎液型でひと括りにし、相⼿や他人を評することは、<定義してから⾒る>典型例であるといえます。欧⽶諸国には、このような科学的に⽴証されていない「⾎液型の定義」は存在せず、迷信に惑わされやすい⽇本人の象徴的な一例のようです。
 リップマンは、100 年前に「定義=決め付け=偏⾒・差別」の危険性をすでに⾒抜いていたのかもしれません。100 年という年月が経過した今、現実や事実、そして過去の歴史と正しく向きあった「定義」をそれぞれが⾝につけることに気付く必要があるのではないでしょうか。

誰もが金メダリストに【6月1日号掲載】

 開幕を2か⽉後に控えた、リオオリンピック。アスリートが⼒と技の限界に挑む、その最⾼峰の舞台が「ふたつ」⽤意されていることを知っていますか。
 オリンピックが終わると、「類似した(Parallel)+オリンピック(Olympic)」の意味を持つパラリンピックが始まります。パラリンピックは、身体に障がいを抱える方々にとって最⾼の国際大会。競技種目ごとにルールを変え、また維持された体の機能を生かす独自の競技(ボッチャ、ゴールボールなど)が設けられ、可能な限りの配慮によって多くの選手の参加を可能にしています。そして、パラリンピックに⾒られるこの配慮は、4⽉に施⾏された障害者差別解消法にある「合理的配慮」の具現化といってもいいでしょう。
 合理的配慮とは、障がいを抱える方から“困ることをなくして欲しい”という意思が⽰された場合、周りの⼈や社会が「大きな負担を感じない範囲」で⾏う配慮です。障がいを抱えた方にも、「年齢や性別、障がいの状態、居住地」などの違いがあり、当然「困りごと」の内容もそれぞれです。このため、必要とする配慮も多種多様となります。
 「合理的配慮は、障がいを抱える方を特別扱いすること」と受け取られるかもしれませんが、そうではありません。合理的配慮は、障がい者の優遇措置や新たな権利をつくるのではなく、障がいを抱える⼈もそうでない⼈もお互いを尊重し、「生活、学習、労働」が可能な、安心して暮らせる社会(共生社会)を目指すものです。
 2020 年のオリンピック、パラリンピックは、「東京」で開催されます。最終プレゼンテーションで話題になった「お・も・て・な・し」。選手が競技に集中し、スタッフや観客は安心して選手を応援する― そんな配慮の心は「おもてなし」という美しい形になって、最⾼の舞台に花を添えることでしょう。そして、その心を持つ誰もが、もうひとりの「⾦メダリスト」です。

家族と名乗れないひとびと【7月1日号掲載】

 「⼩笠原 登」医師。
 かつて「癩(らい)」と呼ばれていたハンセン病の治療に⼤正から昭和にかけて⼒を尽くし、患者を隔離する政策に異論をとなえ続けました。多くの患者を実際に診療し、その経験に裏付けされた主張をとなえていましたが、当時その主張は認められないばかりか、「国の政策を混乱させる医師」と評されてしまいます。
 昭和45 年以降、ハンセン病の発病メカニズムなどの解明が急速に進み、医師の主張が評価されるようになりましたが、既に⼩笠原医師は亡くなっており、⾃⾝の主張の正当性や後の隔離政策の終焉を知ることはありませんでした。
 古くは⽇本書紀にも記載がある「らい」。患者の中には、“家の中にひっそりと隠れて暮らすこと”や“家族にかかる迷惑を慮り故郷を離れ浮浪すること”を選択してしまう⼈もいました。病気の症状のひとつとして、⼈目に触れる部分に⼤きな変化(顔や⼿⾜の変形)が起こる事が要因でしょうが、このような「⼈目をはばかり⽣きる」選択⾃体が様々な偏⾒や差別の証であったといえます。
 明治時代、「らい」は伝染する病気とされ、患者を隔離する法律が作られます。当初この隔離は、街中を浮浪する「放浪らい」と呼ばれる患者を1か所に集め、「療養と救済」を目的としつつ、差別の目から守ろうとするものでした。しかし療養と救済のために隔離することが、「伝染⼒が強く怖い病気」という誤ったイメージを植え付け、偏⾒や差別を助⻑させるという悲しい結果を招いてしまいます。
 そして、悲しい結果は「強制隔離」という過ちを導いてしまいます。強制隔離によって、ハンセン病患者はもとより家族に対する周囲の目も変わり、入所を免れた患者でさえも、「いつ隔離されるのか」という不安や精神的な苦痛が絶えることはありませんでした。
 国による強制隔離政策は、平成8年の法廃⽌とともに終わりを告げましたが、20 年の時が過ぎた今もなお、全国の国⽴療養所には約1,600 ⼈の⽅々が暮らしています。―もし、あの時⼩笠原医師の主張が認められていたら― 過ちはなかったのかもしれません。

6月3日に・・・【8月1日号掲載】

 6月3日、ある男性の死を世界各国のメディアが速報で伝えました。
 男性は、ボクサーとしてリングの上で戦うだけでなく、リングの外では、<ベトナム戦争への徴兵の拒否>、<露骨な⿊⼈差別を温存するアメリカ社会における⼈種差別撤廃運動>など、“反戦”を叫ぶと同時に“⼈種差別”に⽴ち向かい続けました。
 その男性の名は『ムハマド・アリ』。ロイター通信は、「最も偉⼤なボクサー。ハンサムかつ⼤胆で、⾔いたいことを⾔い、徴兵を拒否し⿊⼈運動のシンボルとなった」と記し、アメリカの公⺠権運動に⼤きな影響を与えたことを称えています。
 時を同じく6月3日、日本ではヘイトスピーチ解消のための法律が施⾏されました。2013 年の新語・流⾏語⼤賞の上位に選ばれた、この「ヘイトスピーチ」。今でも、様々な場⾯でこの⾔葉を⽿にします。
 ヘイトスピーチとは特定の⺠族や国籍等の⼈々を排斥する差別的⾔動で、「ヘイト」は憎悪、「スピーチ」は発⾔を意味し、スピーチには絵や⽂字も含まれます。ヘイトスピーチは、当該者や周囲に不安感や嫌悪感をもたらすだけでなく、差別意識を⽣じさせることにつながりかねません。さらには、「⼈」としての尊厳を傷つける―。そんな⾔葉が過去、新語・流⾏語に選ばれたことに「︖」を感じますが、⾔い換えればそれほど社会的な関⼼を集め、なおかつ「⾔葉」として多くの⼈々の印象に残ったということでしょう。
 ⺠族や国籍は、⽣まれながらにして与えられたものであり、この世に⽣を授かった時点で発⽣した「事実」です。その事を誹謗中傷される苦しみや痛みは、計り知れないものです。ヘイトスピーチ解消法の前⽂に、<不当な差別的⾔動は許されないことを宣⾔する>と書かれています。そして、法務省の⻩⾊いポスターには、<ヘイトスピーチ、許さない>と⼤きな⽂字で記されています。
 6月3日の出来事には、何かのつながりを感じずにいられません。

「当たり前」ではない現実【9月1日号掲載】

 70 年前、選挙権年齢が25 歳から20 歳に引き下げられて以来の「大改革」といわれた今回の法改正による18 歳選挙権の導入。
 70 年前は年齢の引き下げと同時に、『⼥性』にも初めて参政権が認められました。1946 年(昭和21 年)、戦後初の衆議院選挙から⼥性に選挙権と被選挙権が与えられ、約1,380 万⼈の⼥性が投票所に⾜を運びました。このとき⼀挙に39 ⼈の⼥性議員が誕⽣し、当時の衆議院議員のうち⼥性が占める割合は8.4%となり、世界平均の3%と比べ高水準となりました。
 2015 年の⼥性の衆議院議員は45 ⼈(約9.5%)で、70 年前と比べほとんど増えていません。OECD(経済協⼒開発機構)が発表した「2015 年国会議員に占める⼥性の割合」は、加盟34 か国中、日本だけが10%に達しておらず、しかも2011 年から5年連続して最下位。なぜ、日本はこのような状況から抜け出せないのでしょうか。
 「婦選獲得同盟」を設⽴し、⼥性参政権獲得運動のリーダーとなった市川房枝さんが85 年前に『いままで政治は男の仕事で、⼥は決して携わらないもの、⼥は家の中でご飯を炊いたり、⼦どもを育てたりと世間で決めていましたし、また⼥の⼈⾃⾝も⻑年そうだと思い込んで暮らしてきました』と語っています。⼥性に参政権がなかった時代、誰もが当たり前だと思っていた「男は仕事(政治)、⼥は家事」、「育児・介護は⼥の仕事」の概念が、85 年の時を経てもなお根強く残っており、⼥性の政治参加や社会進出を阻む⼀因であり続けているようです。
 カナダのトルドー⽒は、⾸相就任後、閣僚を男⼥それぞれ15 ⼈ずつ任命しました。その理由を「2015 年だからさ」とあっさりひと言で答えています。そして、このひと言には“今はそれが当たり前でしょ”という思いが込められているようです。
 政治・経済・社会・⽂化⾯の利益などを男⼥が平等に享受するための様々な動きがありますが、深く考えすぎない“簡単かつ明瞭な意識改革”も重要なポイントになるのかもしれません。

子どもの幸福の先に【10月1日号掲載】

 103,260 件。
全国の児童相談所が2015 年度に対応した児童虐待の相談件数(速報値)です。うち、⼤分県は983 件で、九州7県では福岡、熊本に次いで3番目に多い件数となっています。
 虐待は、「⾝体的」・「性的」・「ネグレクト(育児放棄等)」・「⼼理的」に分けられますが、2015 年度の相談件数の約半数を「⼼理的虐待」が占めています。これは、⼦どもが⾒ている前で保護者が配偶者等に暴⼒を振るう「⾯前DV」が⼼理的虐待にあたるとして、警察からの通告の増加が一因であるとされています。
 ⼦どもを虐待する者の約半数は実⺟、次に実⽗です。虐待の多くは「貧困」や「障がい」、「虐待の連鎖」、「地域社会からの孤⽴」など、さまざまな事情が複雑に絡みあって起きており、ほかに病気や失業など不意に深刻な問題に直⾯した時などにも起きてしまうようです。このような状況の家庭すべてで虐待が起きる訳ではありませんが、どの家庭でも起こり得ることがわかります。ひとりで悩み続け、苦しみ、⼼が追いつめられた末に、⼦どもへの悲しい⾏動に⾛ってしまう。虐待の実態から⼦どもを救うには、まず親(保護者)の⼼を救うことが先なのかもしれません。
 1989 年に国連で採択された「⼦どもの権利条約」。この条約に深く影響を与えたといわれる「⼦どもの権利の尊重」を発表したポーランドのコルチャック⽒は、『⼦どもは幸福になる権利を持っている。⼦どもの幸福なしに、⼤⼈の幸福はあり得ない。』と語っています。
 ⼦どもの幸せな笑顔は、周囲に安堵感や活⼒をもたらし、⼤⼈も思わず笑みがこぼれます。その⼦どもたちの笑顔と幸せに暮らす権利を守れるのは、⼤⼈だけです。いかなる理由や事情があっても、児童虐待は⼦どもへの「⼈権侵害」であることを強く⼼に留める⾏動が望まれています。
 ― 「もしかして」 あなたが救う 小さな手 ― (平成27 年度「児童虐待防⽌推進⽉間」標語の最優秀作品)

「咸く宜し」の気持ち【11月1日号掲載】

 江⼾時代、廣瀬淡窓師が開いた私塾「咸宜園」。⽇⽥で⽣まれ育った⼈なら必ず⽿にしたことがある⾔葉でしょう。
 咸宜= 咸く宜し( ことごとくよろし) とは、「すべてのことがよろしい」という意味で、門下⽣一⼈ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を表しています。
 私たちが⽣きる地球では、⼈種・国籍・⾔語・宗教・年齢・性別などの「違い」を持って⼈々は暮らしています。その違いのひとつである「性別」は、単純に男・⼥で分けられるものではない―。ということについて、昨今では多くの⼈に認識と理解が浸透してきたようです。
 ⼈の性には、「心の性」と「身体の性」、そして、「恋愛対象の性」があります。心と身体の性が必ずしも一致するとは限らず、恋愛の対象も「異性」「同性」「両性」に分かれます。
 その中で、多くの⼈は「心の性」と「身体の性」が一致し、恋愛の対象が「異性」に分類されます。⽇本では、この分類に含まれない⼈が13 ⼈に1⼈いると⾔われ、その⼈たちを「性的マイノリティ(性的少数者)」と呼びます。
 この少数者には、心と身体の性の不一致に対する強い違和感と苦痛に悩まされている状態の“性同一性障害の⼈” 、“自分の性を決めない⼈” 、“恋愛感情を抱かない⼈”などが含まれます。
 また、同性や両性が恋愛対象という⼈もこの少数者に含まれますが、これまでそのような恋愛観を持つ⼈は、性的疾患などの疑いが持たれていました。しかし、今では医学や心理学のうえでも、そうではないことが判明しています。
 誰もが自分らしく⽣きることが可能な社会の実現には、一⼈ひとりが多様な性について理解することが⼤切です。すべての性が尊重され、性の多様性を認め合う、「ことごとくよろし」の心を育む⾏動が求められています。

人権の世紀とは【12月1日号掲載】

 すべての人間が人間として尊重され、自由であり、平等であり、差別されてはならないことを定めた『世界人権宣言』。この宣言は1948 年12 月10 ⽇に国際連合(国連)で採択され、これによって「人間は⽣まれながらに自由であり、尊厳と権利について平等である」ことは国際社会共通の基本的ルールとなりました。
 宣言の採択後、国連は12 月10 ⽇を「世界人権デー」と定め、⽇本では12 月4⽇から10 ⽇までの1週間を「人権週間」としています。この期間中、⽇本の全国各地において、“人権は、私たちが人間らしく⽣きるための権利であり、すべての基本ルール”であることを周知する活動が重点的に⾏われています。


平成28 年度人権週間(第68 回)目標
「みんなで築こう 人権の世紀 〜考えよう 相手の気持ち 未来へつなげよう 違いを認め合う⼼〜」


 この目標にある「人権の世紀」とは、21 世紀のこと。人権の世紀に入って、すでに15 年以上が経過しましたが、なぜ21 世紀が人権の世紀と言われるのでしょうか。
 20 世紀、人類は⼆度にわたる世界⼤戦を経験しました。その経験と反省から「平和のないところに人権は存在しない」、また「人権のないところに平和は存在しない」ということを学びました。そこから「21 世紀は『人権の世紀』」という世界共通の合言葉が⽣まれ、人権の尊重と平和の実現が世界中の願いとなっています。
 しかし、残念なことに世界各地では様々な紛争が今なお起きています。また、国内においては同和問題や⼦ども、⼥性、⾼齢者、障がい者、外国人など様々な人権の問題が発⽣し、課題も残ったままです。
 21 世紀を「真の人権の世紀」とするためには、私たち⼀人ひとりが人権について学び、意識を⾼め、互いの人権が尊重される社会をみんなで築いていこうと思う「⼼」が⼤切です。

この記事に関するお問い合わせ先

日田市 市民環境部 人権・部落差別解消推進課 啓発推進係(人権啓発センター)
〒877-8601 大分県日田市田島2丁目6番1号(市役所別館1階)
電話番号:0973-22-8017(直通)
ファックス番号:0973-22-8259

メールフォームによるお問い合せ