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天保7年(1836年)/豊後国日田生まれ
天保14年(1843年)12月22日 8歳
文久2年(1862年)6月~明治4年(1871年)11月
旭荘の長男。16歳で淡窓の嗣子となる。
17歳で舎長権都講となる。文久2年より咸宜園を主宰し、横田国臣や清浦奎吾など明治期の逸材を多く輩出するなど、幕末から明治初期の最も困難な動乱期に塾の経営にあたった。幕末最後の郡代窪田治部右衛門に重用される。明治3年日田県庁漢学教授。明治4年咸宜園塾舎改修後に上京する。長三洲、田代潤卿と並び「宜園の三才子」と称せられる。明治7年(1874年)39歳で死去。
(肖像画は公益財団法人 廣瀬資料館所蔵)