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9代 諌山菽村(いさやま・しゅくそん)

ページID:0001098 更新日:2025年12月8日更新 印刷ページ表示

9代 諌山菽村(いさやま・しゅくそん)の画像

生年/出身地

文政8年(1825年)/豊後国日田生まれ

入門年月日

天保4年(1833年)3月 9歳 天保8年(1837年)正月 13歳

塾主期間

明治21年(1888年)1月~明治25年(1892年)4月

解説

豆田町の医師、諌山安民の長男。
咸宜園の後、亀井塾に学び、36歳で医師を開業し日田代官所の典医となった。明治2年(1869年)当時の日田県知事松方正義に「養育館」の建設を進言、日田養育館の運営に関わり、孤児の養育にあたった。明治11年代官所跡に「三隈義校」を起こし、後に村上姑南に継承させたが、財政難で日田郡組合立教英中学に子弟を吸収された。菽村の咸宜園再興に対する情熱は深く、和漢書籍の保存や塾の財政資金の確保のために努力した。明治21年1月から明治25年4月まで主宰したが、健康を害してやむなく閉じた。詩や画をたしなみ、特に梅の画を好んだ。明治26年(1893年)69歳で死去。

(肖像画は「咸宜園写真帖」より)

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